パトリシア・カミンスキー/FESディレクター



ケルトの叡知より
  バッチ博士は彼のレパートリーの中でも、ホーリーをもっとも基本的な二つのエッセンスの一つとして考えていました。ワイルドオートが自己の外側の世界へ魂を適応させる導きをするものの基本であるとすれば、ホーリーは自己の内側のあり方を癒し、基本的な人間のもつ魂の愛にあふれる部分を刺激するもっとも適切なエッセンスだとみなしていました。ホーリーは特別な治療の情況で処方されるばかりか、フラワーエッセンス療法を高度な段階に進めて行きたいと望む人たちの入口となるようなエッセンスとしても早くから注目されていました。

 ホーリーの幹の様子を見て、バッチ博士はこの木がケルトの叡知と強い繋がりをもっていることを感じていました。これは、ドルイド教の先駆者たちが発展させた木のアーキタイプ的な資質の原点となったアルファベットの、「オーガン」(Ogham) と呼ばれる文字に由来します。「オーガン」はゲール語ではTinne…一年の第八番目の月を、または六月を統治するものとして知られています。ホーリーの絵文字は矢をあらわしていて、文字通り「私は振り立てる戦いの槍」なのです。

 太陽の光が最高点に達するのは六月、その後、地に没し始めます。ホーリーは人間の魂が暗黒に光をもたらしながら、地の世界へと下りて行く……荒れ狂う人間の魂に語りかけています。このように私たちは、暗闇を好み地軸の基底と深く関わりをもつ湿った条件の中、太陽光線がなくても発芽する能力をもった木が送ってくる合図をよく理解することができます。ホーリーのとがって固い葉は、とげまたは「槍」のそれとは似ても似つかない形です。ホーリーは固くて白く目の詰んだ木質で、流体を通さない堅さを誇る資質をもっています。ホーリーは真冬の大地とその荒涼たる大気にすっくりと、寒さの影響知らずでしかも陰鬱な緑色で立っています。

 オーガンに属す木の中で、とくにホーリーとオークは古(いにしえ)のイメージ…象徴的な戦いの場で王位を年ごとに交換しあっていた二人の王たちをほうふつとさせます。ホーリーはゲールの言葉でTinneといい、この言葉は tanist「暗黒の双子」という意味をもっています。オークの王は十二月に光が上昇し始める時(冬至)から夏の赤道でその光が最高になる六月(夏至)までを支配するのです。そして「暗黒の双生児」と呼ばれるホーリーは、年の光が欠ける間、冬が最高潮に達するまでの期間(夏至から冬至まで)を統治します。






クリスマス … ハートの目覚め
 民間伝承の文化で、私たちはクリスマスシーズンにホーリーともっとも関わりを深くするようです。あの元気のいい真っ赤な小さな実とともに、私たちはホーリーの枝で居間やホールを飾ります。残念ですが、私たちのこの植物との関わりはほとんど無意識的であり、大半が感傷的なものです。

 クリスマスにホーリーが目立つ実際の意味は、霊魂の生命が全盛期であることを象徴するものです。自己の内部に下りて完成したハートの愛の力と、このクリスマスという祭りの間に結実する大地とを目覚めさせることを表しています。このことはルドルフ・シュタイナーの「魂の暦」に叙述されています。シュタイナーはドルイドの叡知を含む、古代文化の神秘の流れを現代に合体させた先駆者です。彼のカレンダーはその年のそれぞれの一週間を節とする52のルーンから構成されています。夏の頂点が機転となって、魂はしだいに自己の内側の現実に向かって旅をし、偉大なる宇宙の高みに至る道を見出します。 ちょうど、種子のように存在の最も奥深くで、力の浄化と強化のために光とともに働きかけ、自己の感覚が合体するのです。そして、冬の最高潮(冬至)の時、この光は速度を増し、ハートチャクラから輝きかけるのです。

     世界の冬の夜に
     精霊の光をもたらそうと
     私のハートは燃えるように駆り立てられ
     輝く魂の種子たちは、世界の土壌に根づき
     ホーリーということばは、感覚の闇をめぐる
     すべての生命を神々しく変貌させながら
     その音をとどろき渡らせる


 そのあとに続く韻文で、シュタイナーはこの魂の活動を「高い喜びのハート」と表現しています。それは「物質世界」に在り、同時に「精霊の深み」を生きることによって手にできる自己(Self) の内なる光なのです。魂は完全に守られ、その深みにある平和の感覚はどんな恐怖にも襲われることはありません。この意識を習得したとき、自己の内なる旅は完了します。ハートは次第にその道を外に捜しつつ、湧き出る愛で目覚め、春と夏の光の拡大する力に出会おうとして再び五感の世界に出て来ようとします。晩春や夏に開花するホーリーの花が、冬の間、愛の力の象徴として人間の心に再び花開くと言うことができます。この花の本質こそ高みの居所でなく、地の深みに生きる太陽の力なのです。


 人間の心に「ホーリーハート」を花咲かせるこの花の能力は、バッチ博士が開発したフラワーエッセンス、ホーリーの深遠な意図です。「すべてにおける究極の獲得は、愛とやさしさを通してであり、私たちがこの二つを十分に発達させたなら、何者も私たちを攻撃することはできないでしょう。なぜなら、もはや私たちは永遠に慈悲の心をもち、何物にも抵抗を申し出ることはないからです」。バッチ博士はホーリーのフラワーエッセンスについてこのように述べています。メチルド・シェファー著、バッチフラワー療法百科事典にホーリーを特徴づけて次のような記述があります。ホーリーは「ハートを開く花」。個人が「愛の流れのなかに生きるためにハートを開く花」であると・・・。

 すべてのフラワーエッセンスのようにホーリーは、魂のパラドックスのように思われる、反対側の緊張に呼びかけ処方されます。ホーリーの棘のある葉っぱと人生を生き抜く荒々しい能力を表現し、ドルイドのホーリーの絵文字は、「私は振り立てる戦いの槍」であると宣言しています。しかし、この敵意は魂がその内側において安全でない時に外に向かい、その荒れ狂う攻撃性を魂の内にある火の力として会得していません。自己が内側から土壌を肥沃にしないなら、私たちは外の世界の正当なあり方に出会うことはありません。私たちは敵意と羨望、嫉妬の感情に答えてしまいます。これがバッチ博士がホーリーを「他人の考えと影響に非常に繊細」なレメディのグループに分けた理由です。ホーリーは自己(Self) の強さを与えて、根底に慈愛の心を育てます。


騎士 … ホーリーの孤独の枝
 ホーリーのパラドックス的な苛酷さと神聖さの教えは、サー・ガウェインと緑の騎士のアーサー王の伝説にも見ることができます。緑の騎士は、真冬の断食の時期にアーサー王の宮邸に現れます。

  されどあらゆる彼の風貌が
  人々を驚きでぼうっとさせ
  この神の創造物はとてつもなく
  大きいばかりか、 輝く緑そのもの
  つき刺す槍も、戦いの衝撃を守る盾も持たず
  片方の手に孤独のホーリーの枝を持つのみ
  すべての木立ちが葉を落としているとき、
  その姿はあふれるばかりの緑に輝く


 緑の騎士はグリーンマンの具現化の姿……人の魂が出会うべき、人間のハートに錨を下ろす大宇宙の自然の力なのです。 ホーリーの枝を片手に持ち、もう一方の手で斧を持つ緑の騎士はアーサー王の円卓の騎士の一人にその首を斧で切ろうと戦いを挑みます。彼はその時、朗々と宣言します。「もし、私の首を切り落とそうというなら、お前はノースランドの緑の寺院で私と対決しなくてはならない。そこで私はお前を一撃の風で吹き飛ばす」。ガウェインは宮廷風な陰謀、野心、願望に駆り立てられていたものの偉大なる勇者であり、ほんものの騎士でした。彼は緑の騎士の挑戦を受け入れ、その首を落とします。緑の寺院を探して、彼は冬の広野をさまよい一年以上も当てのない旅を続けます。この旅の途中彼は一人の女性に……実際には緑の騎士の妻が変装している女性に誘惑されます。ガウェインはこうした清らかなハートの出会いの中で困難を脱し、ついには緑の騎士の居所を突き止めます。冬のさなかにも深い緑に覆われている場所、こここそ二つの険しい崖が向かい合っているその裂け目、ガウェインが緑の騎士に遭遇するホーリーの木々が覆う土地。緑の騎士の一撃を受けても何一つ損なわず生還したところです。



ハイホー、緑のホーリーよ
 人間の心の悩みを癒すというホーリーの思想は、シェイクスピアの戯曲「お気に召すまま」にも登場します。この戯曲のメインテーマは、アーデンの森へ国外追放になって退却する公爵の話です。

その公爵が声高らかに宣言します。

     日々の暮らしから自由になれば、
     木々がおしゃべりをするのを、流れる小川が語る物語
     石の中にさえ祈りのことばがあるのが、
     あらゆるものに善が宿っているのが分かるでしょう

 この戯曲の中のほっとするような安らぎは、自然の大いなる力が働いて、フレデリック公爵が結果的には森に住むホーリーの世捨て人に癒され、すべての社会的な人間関係が調和するようになるまで導かれたことです。その鍵となる歌の一つは
 「さあ、吹け、吹き荒れるがいい。お前の冬の風よ。お前は猛々しい力で冬を歌う。それでも人間の恩知らずよりは不親切ではない」その歌は続きます。

     ハイホー!ハイホー歌え!緑のホーリーに届くよう
     友情のほとんどがにせ物だ。愛なぞ、おろかなものにすぎない。
     ハイホー 歌え、ホーリー!




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